安部奥・山伏~八紘嶺 「地のはてにある山」からのぞむ 素晴らしい眺め

 

地形図:「梅ヶ島」
「山と高原地図」(昭文社):塩見・赤石・聖の裏面
ガイドブック:駿遠・伊豆の山(山と渓谷社

山行実施日;2011.01.08-10
参加メンバー;Hi.T、Sa.H、Na.G、Tu.T、Ky.T、Ka.I、Yo.S

正月雪山山行の計画書をHi.Tさんから渡されて一瞬どきっとした。目指す山のひとつの山名が「八紘はっこう嶺れい」となっている。あのアジア太平洋戦争時にアジア諸国への侵略を正当化するためのスローガンが「八紘一宇」であった。世界を一つの国家とするという意味であり、アメリカの占領下では使用禁止措置がなされた言葉である。この山の山頂には「八紘一宇」の文字を彫りこんだ石碑でもあるのだろうか。そんな山なら行きたくないなあ、と思った。
Hi.Tさんからもらったガイドブックには山名の謂れにつては何も書いてない。自分のガイドブックに当たると山名の由来は分からないということだ。どうやら石碑は建っていないようだ。そこで、そもそも「八紘」という言葉はどういう意味を持っているのか広辞苑に当たってみた。すると「四方と四隅」、「地のはて」、転じて「天下」「全世界」とあった。分県地図を眺めると静岡市の市中から北の方向に直線距離にして約40㎞はなれた山梨県との境界にある山である。静岡の中心から見れば「地のはてにある山」と考えればいいんだ、と自分に納得させた。安部川の水源地帯で、安部奥の山々のうちの一つである。

東名高速道を静岡市内で降り県道29号線をひたすら北へ北へと進む。この道路の行き詰まりに梅ヶ島温泉があり、そこまで静岡鉄道の路線バスが今でも運行されている。そのバスは途中で休憩時間を入れるほど遠いのである。バスを使うと新田しんでんという停留所で降り、登山口まで約1時間歩かなければならない。今回は車二台に7人が分乗してきたので登山口にある駐車場まで行けた。駐車場はほとんど満車の状態で、この山の人気度は高いようだ。一台を梅ヶ島温泉の駐車場に回しておき下山時に備えた。
初日の目標は山伏やんぶしの中腹の蓬よもぎ峠まで。歩き出したのはもう13時を回ったころである。西日影沢を縫うようにして登っていく。沢を渡るために下る斜面が何か所もあり、それが雪で凍っていてロープが張ってあるものの緊張した。途中にはワサビ田が続くがもう栽培はされてはいない。朽ちた小屋も散見される。途中で何回もモノレールと交錯したが、それほど産出量もあったろうに残念だ。沢から離れて、山伏から東に延びる尾根の南面を登る。雪はほとんどなく食事に使う水が心配になってくる。しかし登山道のあちこちから水が勢いよく吐き出されている。支尾根の稜線にたどりついて一本立てる。現在地点を確認しあうがいま一つはっきりしない。私は「蓬峠はすぐそこだと思う」と言うとHi.Tさんは「あまり期待しない方がいいよ」という。こんな会話はなんべんもあった。今回は間もなく蓬峠に到着した。15時。計画ではこの峠から東に200mほど行ったところに平地がありそこをテント場にする予定だった。しかしそこに行くには地形図上には表れない岩を乗り越えていかなければならない。この峠は平になっていて、スペースも十分。この時間からここを通過する者もいないだろうとこの峠にテントを張ることにした。雪は全然ない。しかし水は途中に十分あった。水汲みとテント設営に分かれて作業を進める。雪均しの必要はなし、雪を解かして水を作る面倒もない。16時に宴会開始。夜は長かった。


八紘嶺山頂


(八紘嶺よりの富士山)

第二日、今日の予定は山伏やんぶし、大谷おおや嶺れいを越えて五色の頭の泊地までの長丁場だ。夜の明けるのが遅い。軽度の差だろうということになった(帰ってから測ってみたが大宮と八紘嶺では約1.5度の差しかなかった)。結局テント場を出発できたのは7時近かったと思う。
山伏から東に延びる尾根を登りつめるコースだ。まず尾根の北側を登りだす。北側は急斜面で、昨日から用足しをするのに難儀を感じたのはこのためである。南側斜面に移り、ジグザグの急斜面を詰める。この辺から雪が出てくるが南面なので雪はほとんど解けている。途中に富士の眺めがよいところがあって一本立てる。やがて樹層がコメツガなどの針葉樹に変ってくるあたりから雪が少し深くなってきた。段々開けてきて間もなく樹木が無くなりぱぁーっと開けて頂上だ。広い。ヤナギランなどの高山植物を保護するための柵に沿って三角点にたどりつく。山伏(標高2013.7m)。すばらしい眺めだ。東を望むと富士山のすがすがしい姿が何とも言えない。ガイドブックの写真では笹原の向こうに富士山があるが今は笹はすっかり雪に埋もれていて雪の向こうに富士山がある。北西を見ると南アルプスの聖岳、赤石岳、荒川三山などが白く光っている。
テント場からここまでの標高差は600m、それを一気に登ってきたのだが、私の足は思うようにははかどらないでちょっと歩いては呼吸の調整をしなければならないありさまである。メンバーの人たちは「共同装備を代わって持つから出せ」と言ってくれたが、とにかく稜線までは担ぎあげようと頑張った。それもここまでで、共同装備(食糧一食分約2㎏か)を代わってもらった。
ここから大谷嶺までは標高1900m~2000mの間を何回もアップダウンを繰り返す。鹿ノ踊場の手前で、昔の森林作業で使ったワイヤ二本(紅白のテープが巻きつけてある)が登山道を横切っていてそれをくぐって一本立てる。鹿ノ踊場とはよく言ったもので平らで笹が生い茂りそこにダケカンバの木が点在し、今にも鹿が飛び出してきそうな雰囲気である。
やがて新窪しんくぼ乗越のっこしに着く。ここからの大谷崩の展望はすごい。ここに来るまでの途中に頁岩層が何箇所かあったから、頁岩層(薄くはげ安い)の崖が崩れたのかと思っていたがどうやらそうではないようだ。(帰りに寄った『黄金の湯」に置いてあったリーフレットによると宝永4年10月4日の巨大地震によるものだと説明があった。(東海・南海・西海道地方を襲ったM8.2の地震で甚大な被害をもたらした。この地震の後11月23日に富士山の宝永山が大爆発したことで有名。)
さてここから大谷嶺に向かっての最後の急な登りだ。登りだすとすぐに先頭組から「カモシカだ」の声が。大谷崩の中に残された岩の上に静かに立って我々を見つめている。この大きな崖崩れの中をどうやってこの岩までたどり着いたのだろうか。なにかを言いたそうな表情だが何を言いたいのか。いつまでも身じろぎしないので、われわれの方が動き出した。すると10mほど歩くと別のカモシカが、同じ姿勢、表情で我々を見つめていた。
道は西面(大谷崩の反対側)の樹林帯に入り大谷嶺に向かう。急斜面で足場が悪い上に雪が凍り滑る。固定ロープや根っこを頼りに悪戦苦闘の末にやっと大谷嶺(1999.7m)に立つ。広い雪面になっている。北西を眺めれば上河内岳、聖岳、赤石岳などが、さらに手前には笊ざるヶ岳とそれに連なる山々が一望である。南東方面には伊豆半島がすっぽり目に入り、天城山が確認できその奥には伊豆大島がかすかに見える。大谷嶺を示す標識には「行田山」(山梨側の呼び方)と方と書いてあったところが抉られていて見苦しい。この標識は静岡県が建てたものだろう。
五色の頭を目指す。ここからは緩やかな下りである。天気はいいし時間は早いので気分はぐっと楽になってくる。五色の頭の手前に平地を見つけここをテント場に決める。ほとんど雪均しの必要もない。昨夜のように用足しをするのに緊張する必要もない。早々テントを張り終えたが、酒は昨夜あらかた飲んでしまったのでどれほど残っているか。残量を申告してもらうとビール(500ml缶)一本、小さな薬瓶のような容器にウィスキー、やはり小さな容器に梅酒少々がすべてである。これを嘗めるように飲みあっておしまい。酒がないと会話もはずまない。早目に寝ることになった。

第三日。八紘嶺を目指す。頂上直下に難所があるとのことで緊張気味である。最低鞍部に下る途中でガスが鞍部をを流れて行った。ガスは今まで輝いていた太陽を遮ってしまった。すると太陽がまるで満月のように白く輝いているではないか。面白い現象だ。いよいよ難所に差し掛かる。ルートは山梨県側(北側)に付いている。氷化した雪も残っている。固定ロープや生木、根っこなどを頼りにして慎重に登る。息が切れる。それでも核心部を無事通過できて八紘嶺の頂上(1917.9m)に着く。ここからの展望もよい。南アルプス南部の山々と富士山の眺めがよい。一休みして降りにかかる。梅ヶ島の駐車場まではちょうど1000mの標高差がある。南東の斜面で傾斜はかなりきついがさして危険なところもない。しかしこの道をまっすぐ行きすぎると林道の安部峠に行ってしまう。それでは遠道になるので富士見台というところで右に降らねばならない。どうやら富士山がよく見える富士見台らしいところに到着したのだが道はどんどん下ってしまう。ちょうどそこに下から登ってくる人がいて、聞くと「分岐はもう少し下だ」と教えてくれた。梅ヶ島への分岐は富士見台ではないのだ。この分岐地点からは富士山は見えない。富士見台で富士山をゆっくり眺めそこなってしまった。まだまだ下り道が続き歩くのが嫌になったころ駐車場に着いた。ああ、長かった。置いておいた車に全員が載り、初日の登山口に止めておいた車のところに戻った。「黄金の湯」で温泉に浸かったのはもう12時半ごろであった。

去年の雪山では体力の減退をいやというほど知らされた。今回この山行を申し込むかどうかずいぶん考えた末に申し込んだ。そして暮には奥多摩の川乗山に登るトレーニングもした。しかしやっぱり体力は落ちている。今回もみんなに迷惑をかけたが、すばらしい、記憶に残る山行ができたことを感謝します。  (Yo.S記)