浅草岳敗退~伝説のユピオ

山行実施日(四月十九日)

「もしもし、日高さん、佐々木ですけど今どこにいるの?」この山行の幕開けはこういった問いかけの電話から始まった。塩D、加T、Y城、H高の四名は山行前日の十八日夜に東松山駅に集合、加藤車で一路越後を目指した。「ナビは湯ノ谷交流センターのユピオにセットしました」加Tさんの報告に誰もが無反応。そう、ユピオは当初計画していた前夜発一泊二日の未丈ヶ岳の集合場所だったのにこれでいいのだと思いこんでいた。ユピオという呼び名が判りやすく皆の頭に刷り込まれていたのだ。山行直前になって天候不良のため前夜発日帰りの浅草岳に変更になり、それに伴い集合場所も登山口の大自然館に変わったのだが、四名の頭は相も変わらずユピオ、の三文字である。別行動だった町田車とは小出インター降りる直前ニアミス状態でメールのやり取りをしていた。だったらすぐに来るに違いない、そう思いこんで人数分のテントを積んでいた町田車の到着を待たずに、「じゃあ先に反省するかあ」とビールのプルタグを真っ先に引っ張ったのは確かに私である。みんな飲み出し、いつまでたっても町田車来ないなあ~と思っていた矢先に電話が来た次第です。浅草岳と未丈ヶ岳、完全に山系が一本異なる場所に位置し、四十キロ以上離れた場所にテントは行ってしまった。もはや四名ともアルコールを摂取してしまったため、移動不可である。やむなくユピオの軒先で放射冷却のため寒い中テント無しの野宿を強いられた。翌朝、四時に起きて出発するはずが寒くて起きられず五時起きとなる。結局登山口に着いたのが六時三十分、出発七時と当初計画より一時間遅れとなった。これが後々まで響くこととなる。登山口はガイド山行等も含めビックリする位大勢の登山者がいる。ほとんどがスキーを担いでいる。我々も佐々木さんがスキーにシール着装、そして梅田さんがボードを担いでの歩行である。少し車道を歩き、白崩沢橋手前から山中に入る。しばらくは林道歩き、と言っても既に雪の中である。でかいボードを担いでいるが梅田さんは快調に飛ばしている。出発して一時間後位で林道から離れ、いよいよ山中に入りヤジマナ沢左岸尾根に取り付く。標高八六○m地点の前後が地形が複雑で旨く乗り越えられるか心配していたが、トレースバッチリで迷うことなく急勾配の尾根に上手く乗った。この辺りで守門岳がドーンと言う感じで迫ってくる。急勾配を登りきった当たりで雪庇が崩れていてヤブ漕ぎを強いられる。これを過ぎたらあとはひたすら雪面の中を登るのみだ。この当たりから梅田さんの行き脚が遅くなる。聞くとボードとダンスばっかりやっていて、山登りはここ最近全然やっていないという。やはり登山は継続して登らないとダメみたいだ。遊び半分で塩田さんが梅田さんのザックを担いで歩くが、スイスイ歩いていく。やはりランニング効果は絶大だ。最近時入会の加Tさんも快調である。さすが雪山ばかり歩かれているだけのことは有りますね。十一時過ぎ、喜平与ボッチ一四八五m手前で残念ながら撤退を決める。やはり一時間のビハインドは大きかった。町D、塩D、加T、Y城、H高は先行して降り、後からスキー&ボードで下る佐々木・梅田がルートを間違えないように待っているがなかなか降りてこない。加TさんとY城さんには先行して下って貰った。親の心子知らずとはよく言ったものだ。とはいえ、二人の滑走はなかなか見事でした。基本、登ったところを下るだけだから間違えない道理ではあるが、一二四六mの所で本来右の尾根に行くところをトレースが有ったので町田、佐々木、日高は真っ直ぐ下ってしまった。右の尾根に梅Dさんがいたので町Dリーダーが「梅ちゃん、間違っているよ」と声掛けたら「そっちが違ってるよ~ログちゃんと見ないと~」と返され、慌ててログ見ると確かに間違えていた。反省です、ハイ。トラバースして戻りました。雪庇のヤブ漕ぎは多少難渋したがあとはそのまま下るだけ。道産子の塩田さんは雪道を下るのが実に上手い。町Dリーダーはゆっくりペースだったが、トレーニングを意識してアイゼンをずっと付けていたのでそれも当然ですね。 下山し、小出インター直近のユーパーク薬師で汗を流し帰埼した。(記 H高)