若御子山パーティ 四つん這いでないと登れない山 冷や汗と涙でタオルがびっしょり

2015年10月4日

秩父鉄道の武州中川駅から千 手観音堂の土俵を見学し、東側 の生活道路から民家の脇をかす め登山道に入るが直ぐに舗装さ れた道路に出る。道路には栗の イガが散乱し、面白みに欠ける。 登山道入り口には「フクジュソ ウ」と「クマ」「ハチ」の注意看 板が設置され、沢の音が大きく 響いている。鹿よけネットに入 るが後になって反対側にネット が張られていないのが思い出さ れる。南への直進と東への「い こいの広場」分岐では東方面に 向かう。南への直進はP 584 から大反山経由若御子山への周 回と思われる。 「いこいの広場」には東屋があ り、奥に進むと若御子峠となる。 緩斜面の尾根道から前方に赤い 鳥居が見え出し、鳥居の奥に祠 が3つ並んでいる。祠の裏手を 登ると大岩が有り、回り込むと 急斜面のザレバ。奥へ進み急斜 面の岩場を登ると、手掛かりは 多いが浮石も多いので落石が気 になる。登り切ると広い山頂で、 東側にはさくら湖を俯瞰するこ とが出来る。 大反山に向かうが元来た道へ と引き返す。若御子峠から廃家 屋に向かいさくら湖へと下りる。 浦山ダムには無料のエレベータ ーがあり河床の遊歩道まで下り 15分程度で浦山口駅に着く。 (K林) 今年、大宮労山五十周年記 念行事として武甲山の植樹と いう事でしたが、残念ながら 参加することができませんで した。せめて、登山には参加 しようとリーダー谷脇さんの 元で若御子山にいきました。 地元の人達は仕事以外はあま り登らないとの事ですが、登 ってみてその理由がよくわか りました。急登で四つん這い でないと登れない山でした。 そして、山頂の展望も植林の 中で薄暗く、ほとんど見通し がありません。きっと、地元 では春の山菜取り、かまどで 火を焚く、薪取りに登る里山 なのでしょう。しかし、この 山にも「大きな泣虫がいた」 (福田利光) 以前からなぜか、「若御子 山」という名前にあこがれて いた。秩父鉄道の武州中川駅 下車。とても交通便利な山。 それなのになぜ、地元の人、 登山者も登らないのか、不思 議に思って、地元の観光案内 所に電話してみた。途中まで はよく整備してあるが、若御 子山はルートがはっきりして いないので、地元でもほとん ど登っていないという。大宮 労山で何年か前、登っている が、難儀したと聞く。でも、 労山祭二日目山行③若御子山パーティ 四つん這いでないと登れない山 冷や汗と涙でタオルがびっしょり 行ってみたかった。前日の植 樹の登山道もなんとか、行く ことができた、これが自信に なり、思い切って出発した。 また、この山の麓は春になる と、しだれ桜で有名なので、 「お花見」の候補にと、それ も目的の一つ。まず、キャン プ場から徒歩で浦山口駅に向 かう。秩父線はスイカのカー ドは使えない。昔ながらの懐 かしい駅。「切符ください」と、 駅長さんに言う。「切符?」と、 不思議そうに中から出てきて、 「ホレ!」と指差されたのは 自動販売機、なあんだ、新し い機械があるでないか。その 後も色々道を聞いたり、秩父 さくら湖のエレベーターが無 料と聞き、今時、無料のもの があるのかと感心したり、こ の駅長さんとの会話がなぜか おかしかった。叱られたりで。 (この駅長さんがその後、清 水さんが出会い、お茶、お菓 子をもらったり、ずいぶん御 機嫌だったそうだ。)武州中川 駅、下車。のどかなソバ畑。 しだれ桜の木の中を進む。若 御子山は初めは整備された道 を進む。「憩いの広場」ではあ ずま屋もあり、感じの良い所 だ。ここで、皆さんと鍋を囲 んでもよい所だ。その後、薄 暗い植林帯を登る。途中、神 様の立派な社殿が、つぶれて いた。昔から「神山」と言わ れていたそうだが、神様がつ ぶれちゃあ、困ってしまう。 その先、登ると奥社だろうか、 または、先ほどの神様がつぶ れてしまったので、後から作 ったのか、あまり新しくない が、赤、黒、青の三つの小さ な社殿があった。赤い鳥居も ある。さて、ここからがすご い急坂、急登、木の根、を頼 りに少しずつこらえてよじ登 るがズルズル。それでも登り はなんとかなったが、帰りが いけません。リーダーの谷脇 さんの指示で簡易ハーネスを 付け、皆さんのロープをつな ぎ、S藤Aさんが引っ張って くださった。「ああ、これじゃ あ、秩父のクマも逃げちゃう よ」と、誰かが言ってる。秋 さんは楽しそうにロープを緩 めたり、ひっぱったり、楽し んでいる。他の人も愉快なも のを見てるみたいに楽しんで いる。他の人は笑っているけ ど、皆、大丈夫なのか、心配 しました。若御子峠まで来て、 ホッとすると同時に、冷や汗 と涙でタオルがびっしょりに なった。長年の夢がかない、 嬉しさと感謝でいっぱいです。 (福DM)

素晴らしい秋晴れの中、私 達一行七名は秩父の若御子山 へむかいました。途中、クマ や蜂に注意の看板に白タオル 等を頭に巻き、準備万端で、 勇んで登りました。頂上は木 立で遮られ、視界はあまりよ くありませんでしたが、私の 歓迎会をしていただき、とて も感激しました。ありがとう ございました。下山では廃屋 を見ながら、昔の生活を想像 することができました。そし て、懐かしい浦山ダムに下山 することができ、安心しまし た。浦山ダムは家族で来たこ とがあり、その当時を思い出 しました。また、この山を登 ってみたいとおもいました。 帰りの駅は「浦山口駅」15 時11分に着いたが、電車は 行ったばかり、次の電車は1 5時58分。ボーっツと、駅 のベンチに座っていると、駅 長 さ ん が 出 て き て 、「 今 、 手 が 空 い た か ら 」 と 言 っ て 、 お 茶 を 入 れ て く だ さ っ た 。 お 茶 菓 子 、「 チ ョ コ レ ー ト 」 付 き だ っ た 。 こ ち ら も 、 お 礼 に ミ カ ン 二 つ を あ げ た 。 と て も 親 切 。 感 激 し ま し た 。 こ の 駅 長 さ ん 、 福 田 さ ん た ち が 、 行 き に な ん だ か ん だ と と ら ぶ っ た 駅 長 さ ん 。 す ご く 親 切 よ 。 今 日 の 切 符 は 秩 父 鉄 道 フ リ ー パ ス 。 一 日 乗 り 放 題 1 4 4 0 円 。 季 節 と 土 、 日 曜 日 の み 。 3 6 0 円 お 得 で す 。 ( 清 M や )

大 宮 祭 の 翌 日 は 若 御 子 山 に 参 加 し ま し た 。 山 頂 で は 新 人 の 清 水 さ ん を 歓 迎 と 申 し 、コ ー ヒ ー 、 ケ ー キ と ご 相 伴 に 預 か り 、 谷 脇 さ ん の 気 配 り 、 山 で 機 敏 な 行 動 力 に 頭 の 下 が る 思 い で し た 。 ( 渡 B )

駅 で H さ ん が 自 動 販 売 機 に 向 か っ て 「 駅 員 さ ~ ん 、 切 符 売 っ て く だ さ ~ い 。」と 叫 ん だ 時 か ら こ の 山 行 は 笑 い が 途 切 れ る こ と は 無 か っ た 。 山 頂 で リ ー ダ ー 提 供 の レ ギ ュ ラ ー コ ー ヒ ー と ケ ー キ ( 買 っ た も の ) を 食 べ た 。 一 つ の 物 を 分 け 合 っ て 食 べ る の っ て 良 い な 。 ハ イ キ ン グ で も 共 同 食 を 積 極 的 に 取 り 入 れ よ う 。 最 後 の さ く ら 湖 エ レ ベ ー タ ー は 1 5 0 m も 下 る も の で し た 。 「 下 る の も 、 上 が る の も 、 何 回 乗 っ て も タ ダ 。」と 駅 員 か ら 説 明 を 受 け て 大 い に 盛 り 上 が っ た の に ・ ・ ・ 、 み な 1 回 下 っ て 帰 っ て し ま っ た 。 そ れ に し て も あ の 初 老 の 駅 員 、 面 白 か っ た な 。 そ の 駅 員 に 私 た ち も 「 こ ん な お 客 は 初 め て だ 。」と も い わ れ ま し た が ね 。 ( S 藤 A )

大 宮 労 山 5 0 周 年 記 念 行 事 の 一 環 の 「 み ん な で 登 る 埼 玉 県 の 5 0 座 」 で 、 1 つ 位 リ ー ダ ー を や れ と 言 わ れ 、 も ら っ た 課 題 。 こ の 山 知 ら な い ど う し よ う か と 山 と 渓 谷 社 の 『 埼 玉 県 の 山 』 と い う ガ イ ド ブ ッ ク を 開 く と 、 そ の 第 1 行 目 が 「 若 御 子 山 は 支 離 滅 裂 な 山 だ 。」 で 始 ま っ て い た 。 こ の 言 葉 で す っ か り こ の 山 が 気 に 入 っ て し ま っ た 。 参 加 者 も 楽 し く て 最 高 の 山 に な り ま し た 。 ( T 脇 )

武州中川駅 9:10・・・千手観音堂 9:23・・・いこいの広場 10:08・・・峠 10:32・・・ 若御子山頂 11:27/12:05 ・・・峠 13:17・・・ダム湖の道 13:57・・・(ダム資料館見学)・・・浦山口駅 15:00

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