別世界の黄葉、宝永山

山行実施日;2014年10月8日
参加メンバー;Ka.T、To.F、Ma.S、G3

富士山本体に登るのは6月に続き2回目、登ったのは頂上でなく寄生火山の二子山(&幻の滝)そして今回の宝永山である。雨などの影響で7月の浅間湯の平高原以来の山行である。その浅間と書く神社が富士山に何故あるのかずっと気になっていた。

富士宮口新五合目の駐車場は半分ほど空いている。夏の喧騒はまったく想像できない。風が強く寒いので雨具をも身に付け出発する。山小屋の方から宝永山までの稜線では吹き飛ばされないようにとのアドバイスを受ける。富士山の最大瞬間風速は秒速91m(時速300km超、計測計器が壊れ非公式記録)とある。登山道には、先日の台風の雨はスポンジ状の土壌に吸い込まれ、ぬかるみはまったくない。富士山に川や滝はないのはこの土壌による。(ただ、多量の雪解けの一時のみ幻の滝が出現する)

標高2400mと書かれた付近から、6合目・7合目と思われる山小屋も雲の間に見える。森林限界の木々は黄葉しており、七竈(ナナカマド)だろうか?ほんの所々の木々のみ赤くなっている。雲の間からは駿河湾も垣間見える。
火口に近づくにつれ強風で矮小化し折れ曲がった落葉松が見られ、やがて噴火による白色・灰色・赤色・黒色などの石が積み重なっている荒涼とした火口底に到着する。赤い石はFtさんによれば鉄分が酸化したためとの事。そこには御蓼(オンタデ)、鯛釣黄耆(タイツリオウギ)、深山男蓬(ミヤマオトコヨモギ)などがポツンポツンと黄緑色~黄色~橙色に散らばっている。毎年観ているいつもの山の紅葉と異なる別世界である。

馬の背をめざすが、砂礫の登山道はきつくつらい。一歩上がるたびに半歩ずり落ちる感じである。山中湖が見えると聞いた馬の背にやっとたどり着くが、雲海が一面を覆い雲しか見えない。風も弱くならないので山頂は諦めて往路を引き返す。帰りは登りと異なり楽である。富士山には下山専用登山道があることがうなずける。
花は期待していなかった。が、大きな二株の富士薊(フジアザミ)の花を初めて見ることが出来た。活火山富士山には月見草より富士薊の方が画になる。この富士薊の根はゴボウのようにキンピラとして食べられていたようである。また、山の花の本には「山小屋で食べるアザミの葉の天ぷらは美味」との記載もあった。

往路では気付かなかったが、花びらがちぎれた蛍袋(ホタルブクロ)も見つかる。Smさんは綺麗に咲いている株も含め何株か見つけていた。若かりし頃田舎の山際の斜面で見た時を思い出す。私には似た環境に思えた。種子はこんな所までどうやってたどり着いたのだろう?風任せ?動物に付着?靴底に着いて?

駐車場に着くと来たときより雲海は厚く広がり観光客と一緒に楽しんだ。帰りの車の中から見た皆既月食もこの雲海の上でも赤銅色に輝いていたのだろう。

以下、参考文献「富士山のふしぎ100 監修富士学会偕成社」などによる。

【浅間神社】 「あさま」は古い日本語で「火山」「おそろしい」という意味があり「浅間」と書かれ「せんげん」と読まれるようになった。

【活火山】 富士宝永山は307年前の江戸時代宝永年間に火柱を上げた。富士山は以前休火山(死火山かも?)と習った記憶がある。前月爆発した御嶽山もかつては休火山?だったが、前回の爆発後、火山の分類が変更され富士山共々活火山に分類されている。また、富士山は「噴火のデパート」と呼ばれ、溶岩流・噴石・火山ガス・火砕流(Ftさんによれば昼は見えない)・火山泥流などいろいろな噴火の可能性がある。

【先駆植物】 御蓼や鯛釣黄耆などの植物は先駆(pioneer)植物と呼ばれ火山などの荒れ地にまず根をおろす。御蓼の御は爆発したあの木曽御嶽山の「御」であると言う。そして書籍には根は水や養分を求め3mも伸びるとある。これらの枯れ葉などにより土ができ、他の植物が育ち、やがて先駆植物には日が射さなくなり居場所を移すものと思われる。

また別に、富士薊・富士桜(別名豆桜)・山椒薔薇(別名箱根薔薇)などが含まれる『フォッサマグナ要素の植物』の分類もある。

【歴史に学ぶ】 Fyさんが以前投稿していた記事『島原大変肥後迷惑』(12年4月号)以来、朝日新聞に連載されている磯田道史氏(著書の武士の家計簿は映画化)の『備える歴史学』を興味深く読んでいた。火山噴火を的確に予測出来ない以上先人に学ぶことも必要であると思う。

竜巻発生時の対策として写真を撮るのは厳禁!!と放映していたのに、御嶽山噴火では登山者撮影の写真・動画を何の注意もなく放映しているのは何故・・・?  (Ka.T記)

 

返信を残す