インドヒマラヤ遠征の旅

2025年5月17日~6月2日

「インドヒマラヤに行かない?」
今年2月、労山山スキー学校第2回目の夜の宴会中、突然、声をかけられた。
「い、行きます!よろしくお願いします!」二つ返事で答え、その場で航空券も手配してもらった。その人物こそインドヒマラヤ遠征隊長のSK氏である。
それから、月に3回の訓練山行が始まった(とはいっても4回しか参加出来なかったが)和名倉山、武甲山、木曽駒、甲斐駒と登った。いやはやみんな歩くのが速―い。てか、走ってる?やっとついていってる私。隊長は「本番ではこんなに早く歩かないよ。これはトレーニングだから大丈夫」ほんとかなあ。
ところが、5月になると、きな臭いニュース。インドパキスタン紛争。出発直前である。こんな事態の中行けるのか?
隊長から「もしこのままインドに行っても、途中で引き返すことになるかもしれないけど、みんなの意見はどう?」
全員「とりあえず行こう」と意見が一致した。
出発当日、20kgはあるであろう荷物を預け飛行機に乗った。デリーまで9時間くらいかかる。到着した。めちゃくちゃ暑い。もう真夏?空港から隊長の弟さんの自宅までタクシー。一泊お世話になり夕食もごちそうになった。めちゃうまダルカレー。
デリーの町はカオスだ。車と牛とバイクと人が同じ道路にいる。クラクションの音がうるさいが、事故にはならないようだ。カオスの中で秩序が生まれるのか?


(デリーの車道)

次の日はまたタクシーで移動。今度は隊長の叔母さんの家に行く。泊まりはしなかったが夕食をごちそうになった。ダルカレーが本当に美味しい。本物のインドカレーは日本のインドカレー屋のものとは全然違う。それはそれで美味しいが、どこでどう間違ったのだろうか。
次の日は登山の出発地ガンゴトリに向かう。ガンゴトリにはヒンズー教の寺院がある。到着すると、寺院には参拝の列が出来ていて、ガンジス川で沐浴している人がいる。水は冷たいし、色は茶色できれいとはいえない。インド人は信心深い人が多いのかなあ。とにかく人だらけ。
さあ、明日は登山開始日。もう風呂にはしばらく入れない。バケツにお湯を汲み髪の毛と身体を洗い、夕食(ダルカレー)を食べてぐっすり眠った。

5月17日
ガンゴトリ(3100)~チルバサ(3560)
登山許可は下りたようだが、予定していた縦走は出来ないそうだ。カリンディ峠を下りたところが中国との国境付近であるため、政治的な影響で、カリンディ峠からピストンでガンゴトリまで帰ってこなくてはならない。それでも行けるだけましだ。

天気の良い朝。寺院で旅の無事を祈り朝食を食べ出発した。私達に同行してくれるのはアニールというインド人ガイド。カラフルなパラソルをストック代わりに持つが、傘としての機能はないようだ。穴があいている。
他に、インド人ガイド見習いの若者達とコック、それから15人くらいのネパール人のポーター達。
ポーター達は本当に素晴らしい。40㎏ほどの荷物を紐1本でかついで、どんなガレ場でも歩く。底に溝がないような靴を履いた若者もいる。そして安い賃金でネパールから出稼ぎにきている。


(くつろぐポーター達)

ガンゴトリからチルバサまでは460m標高が上がる。高所に慣れるようにゆっくり歩く。お昼くらいに到着した。まだポーター達は来ていなくて、テントも荷物もない。仕方なくリュックをおいてガンジス川で川遊びしたり、岩でボルダリングしたりして時間を潰した。しかし大きな岩はクセモノで岩の周りには排泄物がたまっている。岩から降りるときは大きくジャンプしなくてはならない。
ようやくポーター達が到着し、テントに寝る支度を整えて夕食となった。ダルカレー、ライス、そしていつも最後はチャイ。


(チルバサの夜明け)

5月18日
チルバサ(3560)~ボジバサ(3770)
早朝テントで寝ていると
「Good morning ,Ser」と
チャイを持ってきてくれた。若いガイド見習いのムケイシー君。ホテルマンも出来そうだ。
今日はボジバサに向かう。200mの標高差なので高所順応のためちょっと足を伸ばしてハイキング。お昼はチャーハン、マンゴーにマンゴージュースのお弁当。あすは早めに川渡りがある。ポーター達の出番だ。

5月19日
ボジバサ(3770)~タポバン(4320)
早く起きて川を渡る。向こう岸で、ポーターやガイド見習いの若者達がケーブルを引っ張ってくれる。なんとありがたいことか。しかし、反対岸に誰もいなければどうやって川を渡るのかな?
タポバンにはババジという修行僧?が岩の家に住んでいる。チャイとお菓子をごちそうになった。そして、バレールというシカのような動物の群れに会う。そのバレールをポーター達が襲って食べるらしい。ほんとかな。実際追いかけているのを見たが。


(ババジの家)

5月20日
タポバン(4320)~メルー氷河(4750)
高所順応のため約5時間ハイキング。明日は3時半起床のため早く就寝。
5月21日
タポバン(4320)~ベビーシブリン(5360)
早朝から雨。待機後、5時半に出発して13時頃山頂。高所のせいか息が上がる。ガイド達と写真を撮ったりして登頂の喜びを分かち合った。この山はドロに岩がはまっているみたいで、もろくてくずれやすい。細心の注意が必要だ。下山時、突然先を行く隊長に、20㎏はありそうな岩がふりかかった。落石!辛うじて避けたようだが、隊長の顔面から血?岩にぶつかった?すぐに、そばにいた看護師の隊員が手当をした。その治療の間、新たな落石を起こさぬようじっと動かずにいた。その後はさらに慎重に下山し、テントに着く頃には暗くなっていて、身体も精神もクタクタ。軽くポテトフライ、チャイを飲み就寝した。


(シブリン峰とアニール)

5月22日
タポバン(4320)~ナンバンダン(4500)
この日は、生まれて初めて氷河を歩いた。インドヒマラヤの氷河は白い氷河の上に山が崩れ土が盛られて茶色い色をしている。時折クレバスが口を開けて白い氷や青い水をみせている。クレバスを避けて歩くにはかなりのルートファインディングが必要だが、アニール始めガイド見習いの若者達、ポーター達は難なく歩いていってしまう。
この日は使っていたテントのファスナーが壊れてしまい、テントは3つから2つになった。狭いが寒さをしのぐにはいいかも。


(タポバンから見たシブリン峰)

5月23日
ナンバンダン(4500)~バギラッティⅡABC(4620)
早朝からポーター達が騒いでいた。アニールが大声で叫んでいる。どうやらポーターのリーダーが帰ってしまったらしい。そして体調悪化のポーター続出。ポーターなしでは進めないのが現実だ。この日はヴァスキタール(4900)まで行く予定だったが、それより近いバギラッティⅡABC(4620)へ変更した。予備日もあるし大丈夫かな?
延々と続くモレーン歩きは尾根歩きのようで気持ちよい。


(チャトランギ氷河を眺めながら)

5月24日
バギラッティⅡABC(4620)~ヴァスキタール(4900)
この日は難所を越える。もろい100mほどの壁を降り、氷河を歩き、また100mほどの壁を登る。上部30mはロープが残置されているが、ロープはあくまで補助だ。しかし岩はもろくてうかつに触れない。子猫を触るようにそっと岩に触れる。岩に乗るときもそっと乗り込む。だが、そこをポーター達は落石もさせず上がって行く。彼らが天使のように思えてくる。

5月25日
ヴァスキタール(4900)
夜半から雪。しかたないが、この日は停滞日となった。そして一日中雪が降り続き「明日も雪だったらどうなるか」と不安になる。明日は晴れてくれ!


(ヴァスキタール)

5月26日
ヴァスキタール(4900)~カラーパッタル(5130)
晴れた!よかった!今日も氷河超え、そして5000m超えだ。息が苦しいし、喉が痛い。チャイで葛根湯を流し込む。夜は氷点下になり、ダウンを着込み、レスキューシートまで被って就寝。
5月27日
カラーパッタル(5130)~スウェータ氷河(5300)
ガレ場に氷河歩き。慣れてきた。一生分の氷河を歩いてるかんじ。この日は氷河の上にテントを張る。明日はいよいよカリンディ。
4時出発なので早く就寝した。
寝ていると、時々雪崩の音が低く響く。
朝になったらがれきに埋もれてたりして。

5月28日
スウェータ氷河(5300)~カリンディ峠(5947)
早朝4時、雪である。とりあえず待機となった。もう予備日はない。このまま帰るのか?


(スウェータ氷河)
7時頃「チョロ!チョロ!(行くよ!行くよ!)」とアニールの声。え、今から?
急いで準備した。


(カリンディへの道)

カリンディ峠までの道はこれまでと全く違う。正真正銘の白い氷河の上を歩く。ガイド達、隊員同士をロープでつなぎコンティニュアスで歩く。カリンディ峰が見えてきたあたりから、息が上がり一歩一歩ゆっくり歩く。自分の息の音しか聞こえない。最後の急峻を登っていくとカリンディ峠だ!やった!
しばらく喜びを共有し写真を撮ったりしてすごした。すでに時間は13時半を過ぎカリンディ峰への登頂は断念した。さて下山。もっと注意が必要だったかもしれない。
気がついたらクレバスの中にいた。3mの青白い氷の壁の上に空が見える。
足が動かない。
「大丈夫か?」
「はい、多分。大丈夫ですが、足が動かないです!」
上からロープが下ろされ確保するように指示があり、ハーネスに結んだ。アックスで足下の氷を削ってみるがなかなか思うようにいかない。するとガイド見習いのムケイシー君が目の前に降りてきて、ピッケルで足下の氷を砕いてくれた。だいぶ時間がかかったがやっと足が抜けた。そしてロープが引っ張られ氷上に出された。30分ほどだったらしい。
それからまだ続くクレバスの地雷に注意して歩き、すっかり疲れてしまった。
テント場まできて、隊長、アニールとハグして泣いてしまった。夕食のおかゆを食べ、チャイを飲んですぐ就寝した。


(カリンディ峠にて)

5月29日
スウェータ氷河(5300)~カラーパッタル(5130)
ガレ場歩きだが比較的のんびり過ごした。もう高所順応のハイキングなどはなし。
5月30日
カラーパッタル(5130)~ナンバンダン(4500)
キャンプ地2カ所飛ばしてスピードあげて歩く。標高が下がるので比較的楽ちん。


(ガイド見習いの若者達)

6月1日
ナンバンダン(4500)~ボジバサ(3770)
ガレ場を一気に降り、川を渡り最後のキャンプ地へ。名残惜しい?


(ボジバサを振り返って)

6月2日
ボジバサ(3770)~ガンゴトリ(3100)
ガレ場も氷河もなく気持ちよい登山道。
14kmを一気に下る。
ガンゴトリのホテルで16日ぶりに髪を洗う。蛇口からお湯が出ることがこんなにありがたいとは思わなかった。今日で終わりだけどまだ実感ないかも。また来年?あるかなあ。シバの神のみぞ知る?

■日程  2025/5/17~6/2
■メンバーSK、SS、FM、MT、IS
■ルート

ガンゴトリ(3100)~チルバサ(3560)~ボジバサ(3770)~タポバン(4320)~メルー氷河(4750)~ベビーシブリン(5360)~ナンバンダン(4500)~バギラッティⅡABC(4620)~バギラッティ峰(4850)~ヴァスキタール(4900)~カラーパッタル(5130)~スウェータ氷河(5300)~カリンディ峠(5947)
(下りはピストン)

 

 

 

 

 

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