加波山事件 ゆかりの山を訪ねる

山行実施日;2010,11.28
参加メンバー;hama、Lantana、To.S、Yo.S

かばさん事件を知っている人がどれだけいるだろうか。1870~80年代にかかけて自由、民主主義、国会開設、憲法制定などを要求した自由民権運動があった。時の政府はこれに徹底的な弾圧を加え、運動の中心となっていた自由党は解党に追い込まれる。そういう状況の中で茨城県の自由党員ら急進派の16人が加波山山頂に「自由の魁さきがけ」「圧政政府転覆」の旗を立てて武装蜂起した事件である。たったの16人が蜂起しても勝算があるはずもなく、全員が逮捕されて死刑7名などの重刑に処された。その数ヵ月後に有名な秩父事件が起こった。

そういう謂れの残る山であるから一度は登っておきたいと思っていた山である。それをhamaさんがチャンスを作ってくれて11月28日に登った。

加波山は筑波山の北北東約10㎞のところにある標高709mの岩山だ。山頂の西側の麓から往復するコースもあるがそれでは物足りない。北側の雨引観音からの縦走コースを登ることにした。メンバーは私を含めて四名。JR水戸線の岩瀬駅からタクシーで雨引観音入口まで行く。石段を一登りで雨引観音に着く。坂東二十四番札所とかで境内には本堂、多宝塔、仁王門など立派な建物が並んでいる。

針葉樹林の中を一登りで加波山へと続く稜線に出る。左へ200m行くと雨引山だがそこは省略。まずは燕つばめ山を目指す。降りが多い登山道だ。これでは山降りだ。心配になってくるころ下げ止まりとなって緩やかな登りになってきた。晴天、無風状態で快適な山登りだ。ところどころに楓の紅葉も見られる。そんなところに突然爆音がとどろく。バイクが四台、この登山道をわがもの顔に飛ばしてきた。「お前たちが来るところじゃない!」と叫びたい気持ちだ。

やがて急登が始まる。粘土質で滑りやすく、その上道が狭く抉られていて登りにくい。するとどこに隠れていたのか例のバイクがまた飛び出してきてこの登山道を登っていく。急登で滑りやすいからバイクもなかなか登れない。スリップを繰り返す。その度に土をどんどん抉っていく。こんな道にしてしまった犯人はバイクなのだ。その犯人たちに追いついた。転倒したのか一台のバイクからガソリンが漏れていた。「いい気味だ」と思った。そこから丸太組みの階段が始まった。これではバイクは登れまい。この階段はところどころ途切れるがまたまた階段が始まり、これを繰り返す。ピークにたどりつくとその先にまたピークが見える。12時近くになってやっと燕山(標高701m)に着いた。電波塔が二基立っている。殺風景だ。ガイドブックによるとここから加波山神社までは車道を歩くことになっている。この電波塔の資材を運ぶために登山道を車道にしてしまったのだろう。不愉快な思いをしながら加波山神社親宮に到着。ここからは石がごろごろ転がっているところで道を探しながら歩く。約20分で本宮に着く。社があるだけで山頂を示す標識がない。「会報」担当のLantanaさんにとっては山頂を示す標識の前での証拠写真が必要なのだ。地形図を広げてみると「加波山神社」のすぐそばに「709.0」と記載がある。小数点以下一桁まで記載があるということは「三角点がある」ということだ。探してみると端っこに三角点が頭だけを出していた。これで山頂であることを確認できたので、安心して昼食をとることができる。神社の一郭に陽の当るところがありここを四人が占領した。神社の周辺は針葉樹に取り囲まれていて展望は全くない。

さて、これからどうするか。私個人としてはこの頂上から南に2~300m降ったところに加波山事件の16人が旗を立てたといわれている「旗立石」も見ておきたいところだ。しかし燕山の登りで足は相当疲れている。里宮の方に下っていくことが正解のように思う。みんなもそう思っているだろう。

その道は親宮のところから西の方に進めばよいはずだ。その道はあった。しかし10mほど先に太めの枯れ木が二本道をさえぎっている。登山道でよく遭遇する「ここから先に行ってはいけない」というサインと読み取れる。

地形図を出して周辺を確かめたが下山路はその道しかないことを確認して進む。正しかった。しかしあの二本の横木は自然にそうなったのか、それとも誰かのいたずらなのか。

やがて林道に出てタクシーを呼び岩瀬駅に戻った。久し振りのハイキングだったが、穏やかな天気で気持ちよかった。このコースでは雨引山から燕山までがハイライトで、春の新緑もよさそうだ。  (Yo.S記)


加波山神社

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