山行実施日;2014年7月20日~21日
参加メンバー;Ke.H
連休の最終日、ここだけは何とか天気が持ちそうだったので北岳に行くつもりにしていた。ところが直前にネットで交通機関を確認したところ、先日の台風で夜叉神峠~広河原間の林道が土砂崩れになってしまったため通行止め。奈良田まで大廻りしないといけない臨時のバス時刻表設定となっていた。これでは厳しいと思い、夜叉神峠から鳳凰三山を目指して青木鉱泉か御座石鉱泉に下ることとした。
前日の最終の「かいじ」に乗り日付が変わったところで甲府駅到着。駅でごろ寝する。先に寝っ転がっていたオッちゃんは銀マット敷いてその上にそのまま寝てる。私は銀マットなしでシュラフカバー、まあ夏だからね。
4時35分の夜叉神峠行きバスに乗り込んだのは総勢十六名。隣で寝ていたオッちゃんは北岳に行くつもりだったらしく、車掌のオバチャンに色々聞きまくっている。奈良田経由の広河原行きバスは3時に出ちゃったからどうしようもない。ちゃんとリサーチしないとダメなのである。結局そのオッちゃんは芦安で降りたらしいが、爆睡していて気が付かなかった。
6時に夜叉神峠登山口に到着し、朝食を摂り地下足袋に履き替えて6時半前から歩き出す。登りはじめなのでオーバーペースにならないよう脚を運ぶ。50分後に夜叉神峠、そしてすぐに夜叉神小屋だが、休まずそのまま歩く。
一旦トラバース気味になったがあとはずっと登りで杖立峠、そしてこの先も苺平まで緩い登りがずっと続く。この登りの途中、4リットル持ってきていた水を2リットルにしたら、大分ザックが軽くなった。ここまでの間に四人に抜かれ、五人を抜いた。
苺平から先は若干の下りで南御室小屋に着、ここで15分くらい休む。水が美味しいので持ってきていた水と取り替える。
ここから先も樹林帯の登りだったが、森林限界を越えてパッと白嶺三山方面の見通しがきく稜線に飛び出した。ウーンしかし残念、北岳はガスに包まれていてその姿を確認できず。鳳凰三山の稜線付近だけが青空がそこかしこに見えるがあとはガスガスガス、もちろん富士山も見えない。
気を取り直して脚を進める。白ザレの砂礫は歩きにくいが景観は素晴らしい。鳳凰山系は初めて脚を踏み入れたが、みんなが行きたがる訳が判ったような気がした。
薬師岳小屋の前で抜いたり抜かれたりしていたお兄ちゃんと少し会話をしたら、どうやら登山靴が足に合わなかったらしくマメができちゃったので小屋番に絆創膏を貼ってもらったとのこと。道理で最初はものすごい勢いで抜いていったのが、何故かノソノソ亀歩きの私が抜き返してしまったのかが判った。最初からテーピングしておけばよかったのに、というのは後知恵である。彼は青木鉱泉に行きたかったらしいが、帰りのバスには乗っていなかった。
ここからすぐで薬師岳山頂、予定より少し遅いがほぼオンタイム。計画では中道を下って青木鉱泉に下り、15時のバスに乗るつもりだったが、体は別に疲れていないので観音岳までは行けるだろうと思いそのまま稜線を歩く。
観音岳まではあっという間に着いた。ここもそのまま通過しようと思ったけど、妙に腹が減ってきたので行動食を摂取してから動き出す。
残念ながら地蔵岳までは行けず、鳳凰小屋までのショートカットルートを辿り、小屋でまた水を詰め替えて1.5リットルだけにする。折しも夜叉神峠登山口から来た人が宿泊手続きをしていた。ヒマなしカネなしの私はひたすら下るのみである。羨ましい、いつか私もそういう身分になりたいものだ。
燕黒山まではトラバース気味に下っていく。14時前に燕黒山山頂に着き、地図をチェックする。御座石鉱泉までの水平距離はもうたいしたことはない。これなら青木鉱泉15時発、御座石鉱泉15時15分発のバスには余裕で間にあうなと思ったけど、妙に等高線がビッチリ詰まっているのでよく見たら、標高差が1,050mもあった。ドッヒャーである。しかしこのバスを逃すと次は二時間後だ。ずっと風呂に入っている訳にもいくまい。覚悟を決めて下り出す。案の定、滅茶苦茶な急勾配だ。走ると危ないので、とにかく小股の競歩スタイルで下る。10分下る毎にGPSで現在地の標高を確認し、一喜一憂しながらとにかく脚を動かす。
膝が壊れないか気にしつつ、でも必死で歩いた甲斐があり、バスの出発時間10分前に御座石鉱泉に着くことができた。818m/hのスピードで下ったので近年のレコード記録かもしれない。地下足袋だからできたので、登山靴だったら無理だったろう
バスの乗車券を売っている御座石鉱泉のオバちゃんにどこから来た?と聞かれ夜叉神からと答えたら「あんたみたいなのばっかりだと山小屋も温泉も商売上がったりだ、せめてビールでも買っていけ!」 と言われて買った五百円のビールは、でもやはり美味であった。最後に追い抜いた女性四人組(南御室小屋からだった)からも驚かれたが、最後はともかくそんなに早い時間で歩いていたわけではない。継続して歩き続けることが結構重要なのだと再認識した山旅だった。