山行実施日;2013年3月7日
参加メンバー;Ka.T
♪三峰の~ で始まる我が母校寺尾中の校歌、その三峰山は北に大きく見える。雨模様でも山頂が雲で隠されることはほとんどないのでほぼ毎日鍋底の山容を眺められた。麓には鍋山町と言う地名もある。ガイドブックには、地元では鍋山と呼ばれると記されているが、そのように呼ぶ人に会ったことは一度もない。中学校の行事で登ったがコースはガイドブックによる今回とは全く異なり、林業の作業道を使った道と思われる。危険な箇所はなく、下山は競走してかけ降りて帰って来た。
三峰山の西側は江戸時代からの石灰採取のため市街からは確認できないが大きく削り取られ、鍋山町から奥の出流山満願寺の間の道沿いにはその工場が並んでいた。近くの民家も石灰の粉で真っ白、そこに住む同級生は「家のタンスの中まで白い粉が入って来る!」と言っていた。三、四十年前に、3キロ程度離れた地区に集団移転している。日本の公害の先駆けと書いてある書物も読んだことがある。また、満願寺には石灰地特有の鍾乳洞が幾つかあった。当時、故郷の山三峰山はその位の知識しかなかった。節分草も片栗も知らなかったし、観た覚えもなかった。
十年ほど前に帰郷した時に登山の対照となっていること、滑落事故もあること、そして節分草・片栗等の麓の花を求めて観光客が訪れることを知った。
会報先月号(2月号)の山行報告にはI氏が登ったとあり、笑みがこぼれる。バイクの修理による仕事休みを利用し、節分草の花見をも兼ね、周回コースを歩いてみた。
【登り】永野御嶽神社の脇から登る。清滝不動や奥の院等の修験にかかわる施設が散在している。今まで経験した山行で一番修験色の濃い山と感じた。
【稜線】西側は石灰採石のため削り取られ、重機やトラックがみえる。山頂近くに来たときには発破の爆発音も聞こえてきた。いまだに破壊が繰り返されているようだ。
【下り】急坂もあり迷いやすい場所もあった。慎重に下山した。
【麓の四季の里】節分草と福寿草が満開であった。ビニールハウスの御休み処には黄色の節分草も咲いていた(西洋種を植栽したものと思われる)。蝶は確認出来なかった。
今までの知識、記憶にない故郷の山の一面を経験し、咲き続けていた花をあらためて知ることが出来た一日となった。