山行実施日;2013年10月12日~14日
参加メンバー;KZ.O、To.S、Ai.M、Mi.S
10/12(土)大宮-(車)-白駒池駐車場23:45(テント泊)
10/13(日)白駒池駐車場避難小屋7:30・・・麦草峠8:00・・・茶臼山9:00・・・縞枯山9:50・・・横岳12:00・・・大岳14:30/,15:00・・・双子池16:30(テント泊)
11/14(月)双子池8:30・・・雨池9:35・・・麦草峠11:15/11:45・・・白駒池駐車場12:15/13:05-温泉食事15:00-大宮21:30
テント泊をしながらの初めての縦走である。T川さんが私と愛ちゃんのために、巻機山行きを提案してくれ、頼もしいパーティーも組んでくれた。あいにくご本人は参加できなったが、O知さんがリーダーを引き受けてくれ、行き先も新潟地方は雨模様ということで、北八ヶ岳に変更される。夕食担当のメニューでも、T川さんのアドバイスをもらい軽い食材を準備したが、やっぱり荷物が重い。
出発前の白駒池駐車場までの道で緩めに結んでいた自分の靴の紐を踏んで前面転倒。額の右を打ってしまう。幸い平らな石だったので擦り傷で済んだが、しばらくの間頭はしびれるし、情けなくて落ち込んでしまう。O知リーダーがそれとなく傷の具合など様子を見てくれたのが安心につながり、どうにか元気を取り戻す。白駒池から麦草峠までは苔むす森の中の木道を進む。
茶臼山山頂までの急踏をどうにか踏ん張ると展望台では南八ヶ岳の山々、南アルプスの山々の眺望が待っていた。次のピーク縞枯山はその名のように、常緑樹の緑と枯れ木の白が縞模様をなしている。
いつのころからこのような縞模様ができ、この名がついているのだろう。草原の広がる八丁平の縞枯山荘を過ぎると、火山岩の中に丈の短いハイ松との彩りが美しい坪庭である。緑と石の配置とコントラストがおもしろい。坪庭を過ぎるとまたも急踏。荷物の重さが足と肩に響く。もうだめかと思ったところで、昼食タイム。
北横岳ヒュッテは子供連れ親子や若者、中高年の登山者で賑わっている。登りの疲れを癒し、ゆっくり休みながら眼の前のご夫婦を観察する。
ご主人がにこやかなお顔でご飯の炊き具合を見ながら、袋のカレーを温めている。その横で静かに奥様が出来上がるのを待っている。私達が出発する頃ようやくご飯が炊きあがる。残念ながら、食べる様子は観察できなかったが、山登りの楽しみは山ご飯なのかな。
北横岳の山頂でも素晴らしい眺望を満喫する。眼の前には姿の美しい蓼科山、その先には今夏登った北アルプスの山々、槍が岳のとんがりも見える。南西には木曽の山々、東側には西上州の荒船山の艫岩もはっきりと望める。
雲ひとつない晴天に感謝。リーダーはアイホーンで360度のパノラマ写真を撮影している。十分に眺めを楽しんだ後は、八が岳に詳しいS田サブリーダーも初めての大岳から双子池までのルートである。地図上では急な下りの後、緩やかな登り、その後急な下りが続き、緩やか下りで到着と予想していた。
しかし、石、石、石ばかりの山道。重い荷物で体がふらふらするし、石の上をバランスよく歩くサブリーダーの後を両手とお尻を使ってよっこらしょ、と登り下り。途中ザックを下して大岳に向かう。
重い荷物に慣れた両足の動きがおかしい。その感覚に慣れるのに、少し時間がかかる。大岳山頂では、S田塾長の華麗なフリークライミングを見学しながら、岩の上で一休みする。双子池までの下りもまた、石の連続で緊張が解けない。石と石の隙間に落ちたらはい登るのに苦労するだろうし、石を踏み外して転倒したら擦り傷どころではないだろう。そんな緊張の連続でもううんざりしていたら、突然双子ヒュッテが見えた。
池のほとりに設営し、夕食作りを始める。愛ちゃんとリーダーは湧水と麦酒を求めて雄池へ。帰ってきた愛ちゃんの足元は何故かサンダル。どうしたの?少しでも良い場所の湧水を求めて水汲みをしていたところ、お池にぼちゃん。水も滴る良い女に変身していた。
見ていたリーダーの報告では、一瞬池の中で泳いでいるように見えたとか。沢登りの復習?陽が落ちた夕暮れの池のほとりで、さぞ寒かったろうにと慰めるが、リーダーの話にちょっぴり笑ってしまう。
夜はホットワインで温まりながら、楽しい会話を楽しむ。老若男女が同じテントで山の話しで盛り上がり、一緒に眠るなんて一年前の生活からは考えられなかったこと。
不思議なご縁を感じる。予定の蓼科山は次回の宿題にして、翌日はのんびり下山し、S田さんお勧めの稲子湯でひと風呂浴び、お勧めはざる蕎麦のみという不思議な食堂で昼食を取り、帰路に就く。
連休の最終日とあって、渋滞の続く道路を運転手が眠りにつかないように、冷たかった話や、不思議な話やクライミング勧誘話などしながら帰る。
体育の日に日常から離れることができるスポーツを楽しめることや、良いパーティーに巡り合ったことに感謝しながらの楽しい山行であった。 (Mi.S記)