山行実施日;2010.04.18
参加メンバー;O女史、To.S、To.F、hama、Ma.S
今回O女史のガイドでずっと行きたかった父不見山に行くことが出来ました。
四月下旬の新緑がベストとガイドブックに出ていましたが、昨日降った雪ですっかり雪山になっていました。冬枯れの木々の上には真っ青な春の空。足元はシャーベットの雪。春の風を受けての歩行は気持ちの良い山行になりました。今日はその後のO女史の企画が盛りだくさん、白久の串人形の見学→16種類のパフェがある喫茶店「にしき」にてパフェを食す→瑞巌寺のミツバツツジを見学→お豆腐処「うめだ屋」で本格豆腐購入→ついでにとある場所でおいなりさん購入。忙しく動き回り全企画達成し、幸せな気持ちで帰路につきました。
※ここの稲荷寿司は、「くるみいなり」、「ゆずいなり」などで一味違います。(To.S記)
4月17日(土)は、40数年ぶりの積雪。翌日の18日の日曜日、父不見山へハイキング。アイゼンはいらない、ちょうどよい雪山だ。今年は気温が低いので、桜も充分楽しめます。途中、紫の鮮やかな色合いのミツバツツジが時々顔を見せ、「さあ、もう一息」と我々を応援しているようです。登り始めは霧が立ち込めていましたが、登るごとに少しずつ、霧も晴れて下界も開けてきました。登山口から、山頂まで1時間でした。
秩父ではいつもHi.Oさんの案内で、帰りに立ち寄ったデザートの店「にしき」のパフェは大変おいしかったです。
秩父の町は桜満開なので、道路は大渋滞。上下線ともノロノロ。私は夕方、新都心駅でOBの集まりがあるので、この車の流れの中では時間に間に合わないと感じ、私一人、車を降り、和銅黒谷駅より電車で帰ることにしました。
駅のホームに行きますと『秩父から和銅献上と日本史に残る銅の産出地、和銅露天掘り跡』とあり、また、『元明天皇から賜った和銅製雌雄?蚣(むかで)一対がここ黒谷の聖神社に伝えられた』とあった。一つ学んで来ました。この駅、元は黒谷駅でしたが、2008年に和銅奉献から1300年を記念して「和銅黒谷駅」と駅名が変更されたとのこと。ホームには、2mほどある和銅開弥のモニュメントが置かれていました。 (To.F記)
今回の山行の目的は『山菜取り』と白久串人形の観劇。前日の17日(土)テレビで白久串人形を知る。是非見たいと思ったが白久駅近くというだけで、具体的な場所が分からなかったので、O女史に今回の山行の目的を電話でうかがうと、すぐに調べてくださった。
17日、関東地方は季節外れの雪に見舞われ、父不見山も雪山となった。お目当てのタラの芽はまったく顔を出していない。父不見山はまだ冬枯れで、木々の芽吹きはまったくなし。残念。しかし、長久保集落は春爛漫。満開の桜、桜。レンギョウ。ユキヤナギ。ミツバツツジ。菜の花、桃の花と春の花がすべてひな壇となり、さきそろっている。この村は埼玉の花見山と言えよう。そして、合角ダムのまわりもぐるり満開のしだれ桜やいろいろな種類の桜が咲き乱れ、とても華やかだ。この村を訪れるだけでも、一見の価値あり。車でスーッと、通り過ぎてしまうなんて、もったいない。観光客は、チラホラ。この村の美しさをみなさん知らないのでしょうね。(我々は車、スーッと、通り過ぎた。)ああ、もったいない。
山を降り、秩父市内に戻ると、市内はピンク、ピンク。車は大渋滞。観光客は皆、市内を巡っているのですね。白久串人形は公民館の庭で上演していた。狭い庭は人だかりで足の踏み場もない。カメラマンも続々集まって、カメラ大会のよう。我々は一幕で、その場をさった。例によりO女史のとっておきの企画があるからだ。盛りだくさんの企画にうれしい悲鳴。すべて企画をこなすには、一日、24時間では無理。一日、36時間ぐらいないと回りきれません。秩父のお宝が少しずつ紐解かれることに快感をおぼえます。次回のお宝めぐりが楽しみです。O女史、ありがとうございました。 (hama記)