草津白根山の東側、毒水沢の標高1700m付近に湧出しています。 秋田の玉川温泉と双肩する強酸性泉です。含有する成分量が、非常に顕著であり、温泉の元となる成分が直に出て来ている状態と言われています。明治時代、政府の招きで東京大学医学部の教師となったエルヴィン・フォン・ベルツ氏が、発見したと言われています。彼は草津を、もしこんな土地がヨーロッパにあったら、 カルロヴィ・ヴァリ(チェコにある温泉)より賑わうことだろうと評しています。さて、芳ヶ平遊歩道途中から毒水沢に入渓すると、既に沢水は冷たくなく、小滝を越えるに従い、湯温?は増していきます。当然周囲は、温泉街を歩いているような匂いに包まれ、登山をしているという感覚が薄れてしまう程です。顕著な二俣がいくつかありますが、左、左と選択した方が、この沢を楽しめるようです。香草温泉は、かつては「一井旅館」が引湯をしたり、 温泉饅頭の「さいふ屋」が、この湯で饅頭を蒸かしていたという歴史が有ります。余談ですが、かつては草津白根山の周囲には数多くの硫黄鉱山が存在し、朝鮮戦争時代には「黄色いダイヤ」と呼ばれ硫黄の価格が高騰し盛況を極めていましたが、 昭和40年(1965年)原油からの硫黄回収技術が確立し、硫黄鉱山は徐々に廃れていったそうです。 今では全ての鉱山が閉山となり、鉱山跡地にかつての賑わいの面影を残すのみとなっています。毒水沢の南側に入道沢があり、その源流部には入道沢硫黄鉱山が有りました。 戦前は白嶺鉱山(びゃくれい)という会社が採掘を行い、 戦後は万座硫黄という会社が鉱山経営を行っていました。 入道沢硫黄鉱山では、1956年1月に大規模な雪崩が発生、14名が亡くなり負傷者多数が出た事故など、雪崩事故が絶えない鉱山だったようです。 1956年の慰霊塔が現地にはあるそうです。 朝鮮戦争特需に沸いた頃からの、人命を賭しても経済優先の時代だったのでしょうね。(記 町D)