雪の根名草山から日光沢温泉への山旅―辻まことが徘徊した山稜を訪ねてー

2017年11月15~16日

1度は行ってみたいと思っていた根名草山、10月に計画していて中止になりメンバーを再募集しての山行です。

この奥鬼怒のエリアは戦後「辻まこと」というマルチ人間が狩りや金鉱探しに足しげく通った地域でもある。詩人でもあり、随筆家でもあり、山の画文集も出版し、秀山荘の広告の仕事を請け負い、時にはギターも演奏すると言う、類い希な人でもありました。

私は辻まことのファンでもあったので、彼の出版した著作のほとんどを在庫していて、「山からの絵本」と「山の声」にこのエリアが頻繁に出てくるので、そんな影響もあっての今回の計画でした。

朝1番の電車に乗り東武スカイツリー線の栗橋で、S田みさん、O野さん、T田さんと合流、東武日光駅からタクシーで金精峠登山口に移動、タクシー代11800円なり。

良い天気に恵まれて急登の登山道を進む、碧い空の左手に覆い被さるように急峻な金精山が鎮座している。南に湯ノ湖と裾野が羽を広げた様な男体山が大きい金精峠、とても良い景色です。

コースタイムもバッチリで尾根道で忠実に温泉ヶ岳を目指すが、日の当らないところにはアイゼンを付けるほどではないけれど、結構な雪が積もっている。菅沼が展望できる尾根上で水補給の小休止、日光白根山が男性的な険しさで迫って雪をまとった山容が凛としている。

2280mのピークを北側に巻いた辺りから積雪も20cmを越え本格的な雪山になった。程なく温泉平に到着したが、温泉ヶ岳の往復30分はスルーして念仏平に向かう、ここからは踏み後もなく、高度差の無い山道を倒木や雪の量に悩まされながらの歩行で速度も上がらない。一向に避難小屋が現れず、やきもきしたところで念仏平避難小屋到達です。

小屋は新しく綺麗で毛布もふんだんにあり12・3人くらいは楽に泊まれそうです。明るいベンチで昼食タイム、取りあえず日光沢温泉に電話を入れると「遅すぎますよ! 早く来て下さい」との叱咤激励、時計を見ると設定のコースタイムより40分もオーバー、しかもこの先、新しいS田みさんの昭文社のコースタイムは、私が計算した2割増しのタイムより30分も長くなっている、ぎょぎょぎょ! 今までのペースでは着かないか? の不安もよぎり、お昼もそこそこにして出発。O野さんが「先にトレース付けていくから着いてきて」とスイッチオン。

高度差の無い単純な尾根道ピッチを上げて進む、やがてなだらかな展望の無い根名草山のピークです。この辺りから雲が垂れこめ暗くなってきた。集合写真を撮って考えに浸ることなく国土地理院の地形図を確認しながらの下山、ところが地形図の登山道からトレースが大きく西によって着けられているO野さんが「地形図の道より外れている、おかしい」と、私もそれを感じS田みさんのGPSで見ると、道の無い所を歩いている、「???」一体どういう事だろうか? 確かにガイドブックに残雪期には道迷いに注意とあった。地形図は大嵐山の尾根上に着けられている、「一旦戻る?」いや、踏み後も赤テープもしっかり付いているので取り敢えず前進してみる。

大嵐山の西の斜面をトラバースしながらガラ場を2度越えて進むと尾根に出て正規の道と判断、もし道間違いで登り返しに時間がかかったら日没で登山中止、折に雪も結構降ってきて、山中でビバークという最悪の状況が一瞬よぎっただけに、ほっとした。

不安も解消されて尾根道を下るとやがて雪の量もなくなり手白沢分岐に4時に到着小休止。ここまでくれば後は日光沢温泉に1直線で下るだけだ。気分を変えて歩を進め、全く雪の無い道をひたすら下る、途中から雪が雨になる、

大嵐山で繋がらなかった携帯で日光沢温泉に電話をかけ現状を連絡、登山道も暗くなってきてヘッドランプを付けて下る。雨足が強くなって雨具を装着、最後の試練だったが暗い沢の中に灯りが見えて日光沢温泉に無事に到着。宿の柴犬が元気にご挨拶、ちょっと油断もあったが、着いてみればとても勉強になった雪山でした。

早速旅の衣を解き、温泉に入浴、白濁した湯に浸かり身も心も温まる。幸せ感が広がるひと時です。

談話室の薪ストーブを囲んでの夕食も豪華で、冷えたビールで「ご苦労様!」の乾杯!終わりよければ全てよしの良い山旅でした。

11月15日~16日

リーダー:S田、サブリーダーS田み、T田、O野

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