山行実施日;2013年5月3日~5日
参加メンバー;Yo.S、Ki.F、Ki.W、Kz.O、To.F、hama、他1
今回はリーダーSさんの元、富士山の懐にある毛無山(静岡県)に登らせて頂きましたので、若干感想等を述べさせて頂きます。
全体工程では五日までありましたが、私と妻は前半二日間で失礼しました。初日はほぼ毛無山の麓の民宿までの移動だったのですが、皆様に用意して頂いたお料理とお酒がおいしすぎて、調子に乗って記憶をなくすまで飲んでしまいました。しかもその余勢をかって、次の日の出発時間に遅れてしまい大変失礼しました。今後は自重しまじめに行こうと思います。
さて、山行ですが、今年のGWは天気がいい日が多かったですが、この三、四日も天気がよく、本当に富士山がきれいでした。実はこんなに近くでこんなにきれいな富士山を見たのは、恥ずかしながら初めてだったので、大変感動しました。しかもこんなに天気がよく癖になってしまいそうでした。
二日目の6時6分(私のせいで6分遅れました、泣)に麓集落を出発し、直登コースでは無く、沢沿いを地蔵峠までのぼる迂回コースでしたが、それがまたよく、控えめに咲くニリンソウやみつばツツジには本当に心を癒やされました。
沢沿いのルートは、ところどころ(全体で十カ所くらいでしょうか)ロープが張ってあり、急登も若干ありましたが、全体的には変化はありますがあまりきつくないコースでした。ただ、沢を渡る部分も3カ所程度あり沢登りの気分(?)も味わえました。また、独特の緑っぽい岩が大変きれいでした。
地蔵峠からは少し上下はあるものの、穏やかな尾根歩きを楽しみながら毛無山への登頂を果たしました。ところどころで見える富士山はいつか登ってみたいと思わせてくれる壮大さが見事でした。
麓集落に下山した後は、私と妻は都合により帰宅の途につきましたが、そこからの車の渋滞が大変でした。幸運にもFさんたちにタクシーを拾ってもらって、失礼ながら乗せて頂いたのはよかったのですが、そこからJR身延線の富士宮まで1時間以上かかりました。富士山の周りってGW中はこんなに混でいるんだなぁ、と改めて思いました。それでも、タクシーの運転手さんがおもしろい人で、富士吉田市はうどんが有名だが「とてもかたい」とか、富士吉田では昔から織物が有名で、男はあまり働かず(羨)、全国に売り歩く人が多かった、・・・とか、という話が聞けて飽きることがありませんでした。
とにもかくにも、大宮労山に入会して集団での初めての、本格的な山登りであり、すべての面で大変満足できる山行だったような気がします。皆様、本当にありがとうございました。 (Kz.O記)
硬い握手を交わす 厳しい毛無山の山頂
日本には「毛無山」という名前の山がいくつあるのだろうか。以前新年ハイキングで西湖の「毛無山」に登ったことがあったが、今回は本栖湖の麓、山梨県と静岡県の県境にある標高1964mの天子山塊の最高峰の「毛無山」に登った。同名の「毛無山」の中では本栖湖の「毛無山」が最高峰。しかし、「毛無山」とはおかしい名前ですね。『「毛無山」なんておもしろい名前ね。お父さんの山?ってね、家族に笑われたんだよ』と、自分の頭をツルリとなでながら言ったFさん、『アラ、Fさんはまだ、ちゃんと、はえてるのに、言われちゃったの?』と爆笑。皆、前期高齢者、後期高齢者ばかりで、最近自分の頭が気になるという人ばかり。なんで、こんな名前がついたのかね、という疑問に、Sさんが調べてくださった。『昔は木や樹林のない展望の山だったが、最近は樹林が広がって売り物の富士山の展望に支障をきたしている。』白旗史朗「甲斐山歌」より。
早朝、六時五分、キャンプ場出発。我々は沢、地蔵峠を行き、帰りに使った。直登コースというのがあるが、直登コースを行きに選ばなかったのは、足の短い、岩場の苦手の私の為に、あえて遠回りの一時間、余分にかかる沢、地蔵峠を選んでくださった。それでも、岩場有り、沢有り、急登有りで、皆さんに助けられながら、一つ一つ、クリアーしていった。地蔵峠にやっとたどり着くと、本当にお地蔵様がいらして、我々を迎えてくださった。そこから、山頂までの尾根歩きは、とても長かった。頑張れば頑張るほど、「毛無山」の山頂は遠くなるばかり。苦しい尾根歩き。大根足の私、もう、足が持ち上がらない。すると、先日、40年ぶりに再会した中学校の恩師の先生の「あなたはもう、若くないのだから無理しては駄目よ」という声が天から聞こえてきた。そうなんです、私、もう、67歳になるのです、もうこれからはこんな苦しいことはやめにしようと、フラフラ状態で這いつくばって登ると、明るい、開けた所にたどり着いた。先頭を歩いていた夫の利光さんの「山頂だ・・・!」と叫ぶ声。10時半到着。確かに、山梨百名山『毛無山』の標識とドカンと立派な富士山を見たときは全身の力が抜け、胸がいっぱい、倒れそうになった。今年75歳になるリーダーのSさんも嬉しそう。ありがとう、Sさん、もう胸が張り裂けそうに嬉しく、Sさんと硬い握手した。今までSさんのリーダーでいろいろの山を登ったのに、握手したことなかった。この厳しい毛無山の山頂に立てた自分が信じられない。他の人達も今までの苦しみがうそのようにはしゃいでいる。しばらくすると、知った顔の人、「大宮労山」の会員、Uさん、Gさん、Iさんが山頂に現れた。この三人も別ルートで来ると聞いていたが、本当に山頂で出会った。何年振りの再会のように、うれしかった。「久しぶりだから、皆で記念撮影しよう」ということになった。埼玉に帰ればいつも逢っているのに変ですね。
11時下山開始。下山も同じ地蔵峠コース。登りと同じ道なので、険しい道なのに、なぜか安心していた。下山の尾根歩きは長い長い。しかし、登りの苦しさはもうスーッと消えてしまっていた。あの苦しさをもうすっかり忘れてしまっている。ゆっくり景色を見たり、楽しいおしゃべりしながらの下山。北側には真っ白な南アルプスがずらりとならんで、すごい。私はその中の「甲斐駒ヶ岳」しか登ったことないのですが、南アルプスを制覇した人には感動的な景色でしょうね。「甲斐駒ヶ岳」はどれ?と探す自分。実は「甲斐駒ヶ岳」は制覇できなかったのです。確かに、毛無山から見ても厳しく盛り上がっていました。再び地蔵峠に着き、もう二度と逢うことがないでしょうお地蔵様に別れを告げ、急斜面のガラガラ石ころの登山道を下りて行った。沢の水は増水していて踏み石に使っていた物もゴウゴウ流れる沢の中、Oさんの奥様は可愛いバンビちゃんのように大石にぴよんぴよん、バランスよく飛び越え、簡単にクリアーしていたが、私は情けない、怖くて渡れない。最後は覚悟を決め、ぼちゃぼちゃ。沢の中を水しぶきを上げながら歩いた。午後2時40分キャンプ場到着。両足の親指にマメができて痛い。体中ジーンと心良い疲れがあった。頑張れてよかった。リーダーのSさんをはじめ、皆さまに助けていただき、成し遂げることができました。(hama記)
やりとげた という充実感
五月三、四、五日のゴールデンウイークに毛無山(1964m)へ行った。本栖湖の近くのふもとっぱらの「毛無山荘」が今回の宿。「朝霧グリーンパーク入口」でバスを降りた。すぐにふもとっぱらのキャンプ場が見えてきた。キャンピングカーの数の多さにまずビックリ。さすが五月の連休。我々の泊まる宿は25畳の大部屋。我々七人の貸し切り。大部屋も炊事場もトイレも広々、掃除もきれいに行き届いてとても気持ちがいい。部屋の窓を開けると、ドーンと、でかい富士山。皆、「いいね、いいね」を連発。さっそく、テーブルを出して、宴会。布団もたっぷり。皆それぞれ好きな場所を選んで、布団を引いて寝た。
毛無山は往復8時間半。登りは夢中で登ったけど、下りは非常に長かった。ミツバツツジがきれいだった。春の花は少ない山だ。この日は終日、富士山がよく見えた。帰りの道路が大渋滞。一日に一本しかない15時53分のバスが一時間半遅れで来た。翌日から筋肉痛。いつもの山だとこんなことはないのに。日頃の訓練が足りないと深く反省した山行だったが、毛無山をやり遂げたという充実感、これは、自分にとって、大きな財産になりました。ありがとうございました。 (To.F記)
毛無山登山を目指して階段上下の筋トレに効果
富士山を取り巻くめぼしい山で西側の毛無山と雨ヶ岳だけ登り残していました。バスの便が極めて悪いのと登山口に適当な宿泊施設がなく諦めていました。ところが今回、hamaさんが宿泊施設を探しだし、ゴールデンウイーク中だというのに運よく一泊の予約が取れて毛無山に挑戦することにしました。
毛無山(1964㍍)は麓集落から+1100㍍、1110㍍の標高差があり76歳の私にとっては手強い山です。いや、私にとってだけでなく、あの白?史朗氏さえ「登りには非常な苦労を強いられる」(甲斐山歌)と書いています。
昨年の甲斐駒ケ岳ではリーダーを引き受けながら頂上直下で音をあげて登頂を果たせず、その資格を問われました。今回もリーダーを引き受けましたが、前回のような不名誉は繰り返すまいと決意してトレーニングを積みました。それはビルの階段を上り下りすることでした。4月22日、浦和伊勢丹の地下2階から屋上まで12階を5往復しました。24日、大宮高島屋で13階を7往復、5月2日、シーノ大宮で11階を4㎏の荷物を背負って7往復しました。それでも一回の標高差は200~300㍍くらいしかありません。果たして効果のほどは?と思いながら当日を迎えました。アミノバイタルを服用し、靴も軽いものに換えて登りました。
結果として、足の筋肉もつらず、頂上に立つことができました。帰宅後も筋肉痛も出ませんでした。やっぱり階段トレーニングの効果があったのだと思っています。 (Yo.S記)