雲の平 終わりが来るとの思いに 足は勝手に元気

山行実施日;2011.08.08-11
参加メンバー;Zu.O

電車が
8月8日(月) 夜、妻に駅まで送ってもらう。電車に乗ろうと改札を通ると、人身事故で止まっているという。予約した富山行き夜行バスの発車時刻までには動きそうにない。急きょ、タクシーで、バス乗り場、川越の的場に向かった。何とか間に合い、ホッとした。交通戦争という言葉があった。事故死が年1万人を超えた時だった。ここ数年、自殺者は年3万人を超えている。これを何と呼ぶべきだろう。国の人口に対する自殺者の数は、その国の生きづらさを計る一つの指標になりうる。その指標で、果たして日本の今の生きづらさはどんな位置にあるのだろう。タクシーの中でそんなことを考えた。

靴が

8月8日(火) 富山からバスで折立に向かう。しばらくすると、車窓から剣や立山が見えてきた。大窓があいている。剣は見栄えのする山でもある。折立を8時30分頃出て5時間半くらいで薬師峠のキャンプ場に着いた。立山リンドウの可憐な花が、退屈な登りを慰めてくれた。遠くには白山も見えた。ところで歩き始めて2時間ぐらいたったころ、右の靴底が、つま先部分からはがれだした。仕方なく、アイゼンを付けたときみたいな歩き方で歩いたのだが、あと3日間は持ちそうにない。で、キャンプ場の管理人(金沢工大の学生)にビニールテープをもらい応急の手当てをした。親切な対応でありがたかった。ここのキャンプ場は非常に快適、トイレも掃除が行き届き感激。夕飯は、米に釜めしの素を入れて炊いて食べた。夜、空半分広がった雲が月をかくし、残りの空に、ちりばめたように星が輝いた。

周りの山が

8月8日(水) 長く横になっていたが熟睡はできず。3時頃起床。昨晩の釜めしの残りが朝飯。5時30分頃出発。歩き始めて間もなく、話しかけてきた女性に靴の状態を話すと、ゴムの紐を分けてくれた。車のタイヤを細く切ったもので、それで靴のつま先部分を結わえて、これでビニールテープがはがれるのを防ぐことができた。感謝。2時間30分くらいで薬師沢の小屋に着いた。沢登りの準備をしている男女がいる。どこかで見たような。話しかけると、全国連盟事務局長の川嶋さんだった。赤木沢へ行くとのこと。小屋から急登を2時間ほどで、雲の平の領域だ。薬師、水晶、黒部五郎、三俣などの山に周りを囲まれて、広い平原が広がり、その中を木道が延びている。思った通りの、のびやかな景色だ。雲の平山荘に着いた時、若い女性がビール500ml缶持って出てきた。私と目が合い、恥ずかしそうに笑った。見ると巻きスカート。山ガールだ。「山ガールがいると、噂は聞いていたが、会うのは初めてだ。」と話しかけると、今度はあきれ顔をされた。キャンプ場について、黒部五郎と対面しながら、ウイスキーを飲んだ。これで初期の目的は果たせた。夕飯はソーメン。夕方から雨混じりの霧になった。

真っ白闇が

8月10日(木) 夜熟睡できない。3時起床、朝食は卵スープの素を使ったお雑煮で、これはいける。あたりはすっかり霧の中。5時半出発で祖父岳を目指す。時々霧が晴れるが、だんだん濃くなり、祖父岳に着くころは完全に真っ白闇になった。ライチョウが草の実を食んでいた。鷲羽岳に向かい始めると、今度は強風が加わった。寒い。酷暑の中の節電で、生ぬるい冷房に甘んじている人に、この空間を切り取り、移し、寅さんみたいにうまく呼び込みをやって、何分間か入れてやり、有料にすれば、いい商売だろうになどと、つまらぬ空想をする。三俣山荘に伊藤正一さんがおられた。88歳ということだが、穏やかな表情で、登山客と一緒に写真におさまっていた。三俣蓮華、双六と頂上は踏んだが、どこも真っ白闇。双六のキャンプ場に着くころ、霧は上にあがって行き、晴れの空間が広がった。夕食は再び釜めしの炊き込みご飯。夜、晴れ上がった空に出た月が地面を煌々と照らした。

そして山を下りる日

8月11日(金) 3時起床。朝食は再びお雑煮、今度は中華スープの素を使用。5時頃下山開始。30分ほど歩いて、尾根にあがると、西穂、奥穂、北穂、キレット、槍と嘗て歩いた稜線が目の前に聳え立った。逆光で、正面の斜面は暗く、かえって高さが際立っている。そして、鏡平に向けて下るにつれ、北鎌尾根を従えて、槍が遠のきながら、ますます、そしてやけに高く感じられた。やがて、槍も、そしてほかの山々も、登る対象でなくなり、眺める、さらに思い出す対象になってしまう日が来る、その思いが自分の中でだんだん大きくなっていった。仕事も、結果はどうあれ、目の前の課題からは逃げず、何とか40年やってきた。最先端ではもちろんないが、最前線の思いはいつもあった。それも残すところ半年余り。終わりが来るとの思いが重なった。不思議なことに、足は勝手に元気だった。鏡平をすぎてから、一時、跳ねるように登山道を駆け降りた。転んで骨折が気がかりだったが、それでも足が勝手に跳ねてしまい、疲れも感じなかった。新穂高温泉で汗を流し、平湯のバスターミナルでビールととんかつ定食で下山祝いをし、高速バスで帰った。