2017年12月10日
私はことしの初めに「一年間に三六回山に登ろう」と心に決めました。それを実行するには「月日ベース」では、月に三回、一〇日に一回ということになります。夏ごろまでは順調に数をこなしてきたのですが、秋に入って天候不順が続いたり、国会が解散されて活動に追われるなどで計画に遅れが生じ焦ってきました。そこで一一月に入って四回をこなして一二月二日の植林の下草刈りで三四回目まで到達し、あと二回というところまできました。クリスマスハイクを予定しているので、残りはあと一回、必死になってガイドブックをひっくり返して丹沢山域に私の未踏の山を見つけたのが鐘ヶ岳でした。
G藤さん、W部さん、S木さんが参加してくれ、四名のメンバーで行ってきました。
小田急線本厚木駅で下車、バスに乗り換えて広沢寺温泉入口で降りました。ロッククライミングのトレーニングをする方にはお馴染みのところです。上谷戸、足ヶ久保という集落を通過します。道端には早くもスイセンが咲いていました。どの家の庭にも草花が植えてあり手入れもきちんとされていてとっても落ちついた雰囲気です。道端に腰をおろしていた老人が「浅間様かい」と子を掛けてきて「歩けるうちが花だよ」と声援してくれました。道路を掃除していた方に声をかけると、「今日は年末の神社の大掃除で、上の方でも掃除をしているよ」とのことでした。浅間神社の鳥居をくぐるとここが「一丁目」で二八丁目まであるとガイドブックには書いてあります。そして丁目石ごとに石の仏像が置かれています。菩薩の仏像ばかりかとみて行くと如来像も出てきます。
古来日本では神と仏は一体と考えられ、山麓や山腹には寺が立てられ山上には社が建てられ神が祀られていました。ところが明治になって新政府は神仏分離令を出して仏教を弾圧し寺を破壊しました。「名山の日本史」の著者高橋千剣破(ちはや)氏は「名山には寺がない、あってもほとんど目立たない」と言っています。そういう歴史があったなかでこの山は神仏分離令の弾圧を免れたのでしょう、鳥居をくぐると仏像が現れてきたのです。
下の方の丁目石は古く、石が風化して建立年月や建立者の名前がなかなか判読できませんがそんな道草も楽しいものです。途中で登山道を掃き清めている大勢の人たちと出会いました。私たちは掃き清められた登山道の最初の歩行者で気持ちいいものです。登っていくにつれ丁目石がだんだん新しくなり、仏像もなくなってきました。建立年月を見ると「文久四年」というのがほとんどです。気になり帰宅してこの年に何があったのか調べました。文久四年(西暦一八六四年)というのは年号が明治になる四年前です。おそらくこの前年になにか大事件があったのではないかと日本史の年表を開いてみると、ありました。
文久三年(一八六三年)
三月、将軍家茂、上京
五月、長州藩、下関でアメリカ商船などを奇襲砲撃
六月、長州藩、奇兵隊を結成
七月、薩英戦争
・・・
政権が幕府から天皇に移行する激動期でした。政権争奪の現場は遠く離れた西の方でしたが、ここ丹沢の山地にも情報の断片が流れてきて村民を不安にさせたのではないでしょうか。そして村人たちは、天下泰平、家内安全を祈願してこの社にお参りしたのではないかと。想像しました。
山道の傾斜がやがて急になり石段の連続になりました。ガイドブックには三六七段とありましたが、W部さんは自分の数えと合っていたと言っていました。石段を登り切り鳥居をくぐると社が現れました。浅間神社、地元では七沢神社とも呼ぶようです。大きくはありませんが立派な造りで、装飾もなかなか立派です。北東方向がやや開けていますが特徴的な景色はありません。鐘ヶ岳の頂上はさらに上でもうひと頑張りしました。頂上はかなり広いのですが三六〇度針葉樹の木立に囲まれて展望はゼロで陰気。先客がテーブルを空けてくれたので昼食としましたが、景色はなく、曇ってきたので寒いし、下山にかかりました。
下山を始めると林相が広葉樹に変り雰囲気が明るくなってきました。ぽつりぽつりあらわれる名残の紅葉がきれいで歓声が上がります。地図上のトンネル記号の上を通過してさらに下ると「山ノ神トンネル」の標識が出てきて、ここで鋭角的に左に折れます(右への案内も表示され「ラクチンコース」の落書きもされていますが、真っ暗なトンネルをくぐらなければなりません)。ここからしばらくは岩っぽいトラバースのジグザグが続きます。しっかりした鎖が付けてありこれを頼って慎重に行けば大丈夫です。やがて林道に出て広沢寺温泉入口バス停まで歩きます(行きに、帰りのバス時刻を確かめておきましょう)。
たいした特徴もない山でしたが、そうつまらない山でもありませんでした。これで私の今年三五回目の登山は終わりました。
帰り道での会話で、W部さんは今年四五回くらい登っていると聞いてみんなびっくり。私は来年は二四回にしようと思っているというと「低すぎる、三〇回にしなさい」とS木さんから発破をかけられました。