山行実施日;2012.04.01
参加メンバー;To.F、hama、Hi.M、K氏
今回は、夫の実家の結婚式で、熊本県に帰郷。せっかく九州に来たので、Mさんと俵山へ登る約束をしていたが、俵山登山口で地元の警察官、消防団に「今日は野焼きをするので、登山禁止。」と制止された。二週間前に村役場に問い合わせをしておいたが、三月末には野焼きが終わっている、と言われていたし、Mさんは一週間前に俵山を下見し、野焼きが三月末には終わっていることを確認したそうだが、阿蘇地方は三月に.天気が悪く野焼きができなかったようで、四月になってしまったとのこと。よって、俵山をあきらめ、もう10時を回っているので、あまり移動時間のかからない熊本市内の山「二ノ岳」に決めた。ひたすら、元来た道を戻り、河内町野出の登山口に入る。桜は満開。埼玉の定峰峠のような山道でこんなに桜並木が続いていたら、大渋滞になりそうだが、こちらは、車まったく走っていない、人も歩いていない。公民館の駐車場に車を止める。神社の階段を登り始めると「どこへ行きますか」と、きちんと背広を着た館長さんらしき人に呼び止められた。二ノ岳へ行くというと、親切に道案内をしてくださった。登山道はよく整備されている。一時間弱で山頂到着。さすが一等三角点の山、大展望です。写真で見たことのある山容がすぐに飛び込んできた。熊本に住む親類の人が「あれが、普賢岳だ。」と教えてくださった。普賢岳といえば、15年前の雲仙普賢岳噴火と火砕流が記憶に残っている。親類の人から、「島原大変肥後迷惑」という珍しい名前を聞いた。いろいろ語ってくださったが、まったく意味がわからない。何の話をしているのだろう。と、思った。わからなかったのは私一人ではなかったでしょう。我々だけの貸し切り山頂。と思っていたら、ひょいと、単独の男性登山者が現れました。地元の人らしく、やはり「島原大変肥後迷惑」の話をしていた。我々三人に教えてくださるのだが、よくわからない。「肥後大迷惑」なんだそうです。肥後とは熊本のこと。熊本側から言うと「大」がつくのだそう。また山頂標識の所に、「明治22年大地震は二ノ岳が震源地」と書かれていてびっくり。思わず足元をバタバタさせてしまった。金峰山、二ノ岳、三ノ岳と古い火山の山。埼玉に帰って「島原大変肥後迷惑」について学習し、やっと、親類の方のお話がよくわかりました。そして、もう一度この山や、山周辺を歩いてみたいという思いが、ムラムラとしてきた。山頂でMさんが温かいだご汁とコーヒーをごちそうしてくださった。ご馳走様でした。また、私どもに付き合ってくださった親類の方、ありがとうございました。
「島原大変肥後迷惑」とは、1792年旧暦4月1日、現、長崎県島原で起こった火山性の大地震により城下町の背後にある眉山が大崩落。大量の土砂が島原の市外に流れ込み、土砂の勢いは有明海にもおよび発生した高波が、津波(最大24m)となって島原の対岸の現、熊本県天草を襲った。その反動で今度はまた島原へも津波(最大14m)が押し寄せた。死者、行方不明者は、合計一万五千人だったと伝えられている。 (hama記)